昭和43年4月28日 特別奉修委員 (末永信太郎) №43-062
特に、特別奉修委員の方達が中心になられて、私のことを祈って下さるということは、本当にこんなに、私と致しましても力強いことはない、また、嬉しいことはないのですが。今さっき、御祈念にかかろうとする時に、佐田さんからお届けがあったんですけど。佐田のお母さんの方が、ここへ養命酒が三本、あの、誰か養命酒をお供えしてあるな、と思うたほどにハッキリと御神眼を頂いておられますですね。
で、そのことを、あの、まあ、お届けさせて頂きよりましたらね、あの、皆さんが、親先生、親先生と言うて親先生のお届けをなさることがね、あれはちょうど私に養命酒を与えるようなもの。なら、また、その恵美子さんが頂いておられるのは、これはもう、今はじまったことじゃないですけれでも、私の後ろにもう一人どなたが奉仕しておられる。ね、これは、ある場合には、小倉の初代の場合もあろう、それは、久留米の初代の場合もあろう。または、福岡の初代、また、善導寺の初代と、ね、場合には勿体無いけれども、金光様が御結界を支配なさっておられる時もあろう。
ように、あの、そういう、その一つの私の信心が、まあ、初代、または私どもの手続きを持っての先生方の信心に繋がって、金光大神に繋がって、天地の親神様へ繋がっておるということなんです。ね。だから、ここの繋がりというところをですね、本当に一つ密接に頂いて行かなければならないということですね。
これは、私はもう、いつも思うのですけれどもね、祝詞座に着かせて頂く時の私の実感というのは、ある場合にはお詫びが中心、願いが中心、お礼が中心。それは、その時、その時によって違うんです。けれどもですね、あのお詫びをする時だって、お願いをする時だって、何かもう、何か知らんけれどですね、同じですね。この何というか、こう、座らせて頂くその実感ていうのは。
それを今朝、特に感ずるわけですけれども。これも、今あの、竹内先生のところの恵美子さんが、夕べから来ております。で、昨日、私は、昨日久留米から帰って休ませて頂いて、非常に昨日は体がきつかったですもん。それでも、あの、夕べちょうど11時、もうやんがて12時だったでしょうか、私が出て参りましたのは。また、私この奉仕着つけてから、あの、出て参りましてね。
そして、あの、ちょっと休ませてもらうのが、もう、やんがて2時でしたが、1時半、ここ立ったのが1時半でしたからね。そのことを、恵美子さんは頂いてるわけですね。私は、右の御結界について、そして私があの、朝、奉仕着をつけて右の御結界に着いておる。
そして、ご神前の奥深く、それこそ奥深くこう、進まれるところ。そん時には、この、奉仕着を脱いでご神前に出られたというところじゃったそうですね。それがその、私が今日申しますように、この、何と言うかね。この、繋がりというかね、神様との繋がりというか。私はまた、その、恵美子さんが頂いたことを私、ははあ、私は昨日はその、足袋も着けてなかったからね、袴も履いてなかったからね、ただこの、奉仕着と羽織だけじゃったんですよね。
ですから、あの、ご無礼なことだったじゃろう、神様はちゃっと見てござるけんで、油断は出けんねて言うて、私は恵美子さんにそげん言うて話したんですよ。で、そのことをお詫びさせてもらいよったら、そうじゃないとですよね。右の御結界というのは、ね、普通の先生ならね、やっぱりそういう考え方が妥当だということです、右の御結界はね。私の場合はね、これが肌着一枚で出たって同じだということ。もう、その、神様と通うところ、もう同じていうこと。
いや、むしろ、それの方がですね、いわば、私が詫びる時だって、願う時だってですね、これは、またお礼を申し上げる時だって同じというのはそれなん、繋がり。それは、なぜかと言うとですね、それは親子の続柄。親は子薬、子は親薬というような中に神様と私は繋がっておるからだということなん。ね、無理を言うてお願いする時もある、甘い甘える時もあるといったように、それがですね、なら、きちっと羽織袴を着けて正装しておる時もありゃ、んなら、言うなら寝巻き一つで出ても、神様の言うなら懐深く入って行けれるんだということです。
そんなら、私だけに、そう言うて下さるのは、どこが違うかということなんですよね。それが、いわゆる今朝の御理解なんですよ。ね。私がいかに、その、われとわが心が拝ませて頂けることが楽しみで信心をこうやってさせて頂いておるか。ね。または、いかに私が、教えのその神縁さに触れて行くことが、もう、不思議で有り難うして、もう、教祖の神様のその説いておられるところを、もう、とてもとても、私が良う知らん。知らんけれどですね、キリスト教も良くは知らん、仏教も知らんけれども、まあ、知り得た知識だけでで言うてもですね、とてもとてもお釈迦様が説き得られることじゃない、キリストが説かれるぐらいなことじゃないことの不思議さに私が、教えの不思議さに触れて行きよる、と。
それが楽しゅうしてたまらんという。ね、二つ目のそれなんです。そういう私の信心ていうのは、それの塊ですよね、言うならば。同時に最近、私が感じさせて頂くことは、ははあ、こげな風でめぐりが出けて行きよる、こげな風で難儀の元が出けて行きよった。その検討違いなことを分からせて頂いた喜びの、最近、私の心にあることがですね、これから以上はもう、難儀の元を作らんで済む。
これから先は、いよいよおかげは頂いて行けれるという道を体得しよることの楽しみがですね、そこに、もう親子。今日の御理解で言うならね、限りある命を持って、限りのない、限りのない、どこまでも。その大生命に繋がって行きよるということが、ね、親は子薬、子は親薬といったようにです。
と言うて、んなら、私が詫びねばならないようなことがないかと言うと、そうじゃないとですよ。ね。それだけ分からせて頂いておっても、んなら、考えてみると毎日毎日、詫びねばならんことの多いことに驚くほどである。けれども、そのお詫びがですたいね、すんませんと言うてその、神様にわざわざ意義を正して、紋付袴を着けて神様の前にお詫びに出らねばならんのじゃなくてです、もう、そのまま裸ででも、床の中からでも詫びれれるというものが、私と神様の中に交流しておるということですよ。ね。
今、ね、もう何ともかんとも言えん、その、もう円い意味でのお勇みでしたですね、今。カチッというお勇みじゃなくて、本当こう、もう何か知らん、角の取れたようなですかね、円い円いお勇み。あれを皆さんが何と頂かれるかということですよ。ね。
そういう、例えばおかげをですね、そういうおかげを私は頂いておる。ね。その私のことを皆さんが願われる。ね、そこに私と皆さんとの中に、何の蟠りもない、挟む物もないほどの間柄というものが生まれて来なければならない。それがそんまま、天地の親神様へもそれだけの繋がりということが、ね、私が佐田さんが頂かれたそのことから考えてですたいね、久留米にも繋がりゃ小倉にも繋がる。福岡にも繋がる、もちろん。ね。金光大神にも繋がる、天地の親神様にも繋がる。
此方が願うところ、天地金乃神と一心なるというところにですね、私の信心がこう至って行きよることを私自身感ずるんです。これは、もう、祝詞座に着く度にそれを感ずるんです、私は。これは、もう言葉でッ表現出けません。ね。そこんところが、あの、私を通して皆さんが、信心が段々こう、分かって行かれるわけですけれどもね。ね。
いよいよ、今朝の御理解なんかをですね、もう一遍、本気で頂き直させて頂いてですね、ははあ、こういう検討違いな考え方がめぐりの元を作って行くんだと、本当にそれを信じ分からせてもらう。それでいても、やっぱご無礼は出けるけれども、そこを詫びて行くことがですたい、ね、親に詫びるんだものね。
こういう実感なんですよ。ね。それこそ、詫びれば許してやりたいの親心に触れて行くのです。ね。同時に、信心とは例えば、その、昨日から申しております、その三つのことに繋がって行けれる。ね。金光大神に帰依し奉る。ね。教えに帰依し奉る。わが心なる神に帰依し奉る。ね、これが信心の眼目だということなの。ね。それに、同時に金光大神は、他の誰も説き得られなかったところの、いわゆる御理解第3節ですね。めぐりを作らんで済む、ね、こういう生き方をすりゃ、めぐりを積むという見当違いなことをです、これは他の宗派ではぜんぜん説き得てないところですよ。ね。
そういう素晴らしいことをですね、分からせて頂けれる。しかも、それが信じて頂かせて頂けれる信心。そこに、親と子のですかね、親神様と私どもとのです、大生命と、いわば小生命との、もう、永劫繋がって行けれる私は道をね、私どもは開かせて頂き、また、それを辿らせて頂いておるということが言える。
そこに、もう、本当に合楽通いのいよいよ値打ちを、お互い、いよいよ感ずるわけですよね。どうぞ。